901話 笠松湊(かさまつみなと) - 2016.11.01 Tue
やっと、書類がそろいましたので、亡くなった義父の事務処理のため、再び笠松(岐阜県)を訪れました。
実務は、共同生活者がゴソゴソとやっていますので、その間に笠松湊公園に行ってみました。
桜のころは混雑しそうですが、今は、親子でかけっこするのにも、広くて気持ちが良さそう。
鉄橋には、赤い電車(名鉄本線)。
木曽川は、ここの上流で大きく曲がっており、対岸は、土砂がたまって複雑な地形になっている。そのためか、水鳥は、対岸に集中。
江戸時代から積み上げられた大規模な堤。
1662年には、この近くに陣屋があった(移された)ということなので、すでに堤は、かなり、できあがっていたのでしょう。
渡し舟はもちろんですが、伊勢方面との交流のための水運の川湊として、木曽川最大の場所だったということです。
明治18年の記録では、年間6,440艘の船が出入りしたそうです。その後、昭和初期には、鉄道と車にとってかわられて衰退しました。(案内表示から)
そのころの石畳が残っています。歩いてみると、見かけによらず平面が出ていて、荷車が引きやすくなっていました。(後ろに見えるのは、自動車用の木曽川橋)
芭蕉顕彰碑もあります。説明文が消えていましたが、芭蕉が亡くなった大垣にも近いので、当然、関係があるのでしょう。
このあたりで詠まれた句は、「みちのべの 木槿は 馬にかまれけり(くわれけり)」
作者が不明確な句は、「としくれぬ 笠着て草鞋 はきながら」
このあたりは、お寺さんだけでなく、商店や役所まで、大正~昭和初期の雰囲気があり、時間があれば、ゆっくり歩いてみたい街並みとなっていました。
実務は、共同生活者がゴソゴソとやっていますので、その間に笠松湊公園に行ってみました。
桜のころは混雑しそうですが、今は、親子でかけっこするのにも、広くて気持ちが良さそう。
鉄橋には、赤い電車(名鉄本線)。
木曽川は、ここの上流で大きく曲がっており、対岸は、土砂がたまって複雑な地形になっている。そのためか、水鳥は、対岸に集中。
江戸時代から積み上げられた大規模な堤。
1662年には、この近くに陣屋があった(移された)ということなので、すでに堤は、かなり、できあがっていたのでしょう。
渡し舟はもちろんですが、伊勢方面との交流のための水運の川湊として、木曽川最大の場所だったということです。
明治18年の記録では、年間6,440艘の船が出入りしたそうです。その後、昭和初期には、鉄道と車にとってかわられて衰退しました。(案内表示から)
そのころの石畳が残っています。歩いてみると、見かけによらず平面が出ていて、荷車が引きやすくなっていました。(後ろに見えるのは、自動車用の木曽川橋)
芭蕉顕彰碑もあります。説明文が消えていましたが、芭蕉が亡くなった大垣にも近いので、当然、関係があるのでしょう。
このあたりで詠まれた句は、「みちのべの 木槿は 馬にかまれけり(くわれけり)」
作者が不明確な句は、「としくれぬ 笠着て草鞋 はきながら」
このあたりは、お寺さんだけでなく、商店や役所まで、大正~昭和初期の雰囲気があり、時間があれば、ゆっくり歩いてみたい街並みとなっていました。
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